コラム

Column

身体の感覚は肉体を超えていく!?
  • 2015/11/08
  • からだの使い方

こんにちは、稲田です。

僕は趣味で和太鼓の演奏やカヤックという元はエスキモーの乗り物だった小舟で遊ぶのが好きです。

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和太鼓は誰でもバチでたたけば音は出ますよ。

カヤックも誰でも浮かんだり前に進ませることはできます。

でも、身体に響かせる音をだしたり、思い通りに無駄なくカヤックを操作するためには、それなりの身体の使い方が求められるんですね。

この身体の使い方というと、唯一絶対の正しい使い方があるように思いがちですが、そんなことはありません。

基本的なルールさえ間違えなければ、人それぞれ見た目のフォームの違いは個性としてみればいんですね。

では、その基本的なルールってなんでしょうか?

それは・・・

・力が抜けてゆるんでいること

・身体の動くしくみに逆らわないこと

・長時間でも疲れない効率のよい動きであること

・全身を使った動きであること

まだまだあるかと思いますが、

少なくとも上の4つは必要かなと考えています。

走る、ボールを投げる、バットやスティックを振る、泳ぐ、岩を登る、ジャンプするなどなど

ヒトという生き物はほんと不思議なんですよねー。

なにが不思議って?

だってね、個々の動きの能力は低いんだけれども、たいていの動きができるような身体をもっているんですよ。

たとえば、ヒトは猫より走るのが遅いですし、イルカのように早く泳げないし、オラウータンのように握力は強くないです。

でも、徒手空拳で空を飛ぶ以外は、ほとんどのことができますよね。

さらに、道具というものを発明したおかげで、空も飛べるし、海底にも潜れるし、地球の外まで行ってしまえるようになりました。

もはや、身体は肉体に限定されたものから、道具を使うことで、道具や乗り物自体が身体の一部となった感覚を得るようになっています。

僕は以前に四屯トラックを運転していたんですが、最初はトラックの感覚がつかめなかったのが、慣れてくるとテールの出っ張ったウインカーのわずかな位置を感覚で把握できるようになるんです。

車に乗る方は、この感覚はおわかりになるんじゃないかな。

乗り物に対しては、このような一体感というのを感じます。

また、手で持った太鼓のバチやカヤックのパドルといった道具の場合は、手の延長といった感覚が生まれます。

釣りをする方なら、釣り針の針先の感覚が手に取るようにわかると言われますね。

僕は鍼灸師でもあるので、患者さんの身体に打った鍼の当たり感はおなじようにわかります。

鍼の先端の感覚は、もはや自分の指で触っているのと同じ感覚なんです。

このような、乗り物との一体感を感じたり、道具が自分の身体の一部と感じるようになるのは何なんでしょうね?

やはり身体の使い方の基本ルールの力が抜けてゆるんでいることが大事じゃないでしょうか。

それに加えて、意識をどこに向けているかも大事ですね。

動作というのは、慣れてくると無意識に自動的にやっているものですが、より繊細に感じるときには意識を向けた方が感覚が鋭くなるものです。

もちろん、無意識で自動的に無駄のない効率的な動きがいつでもできれば、それに越したことはないんですが。

ルーティンな動きから変化を求める場合は、自分の身体に意識を向け感じることは、変化へのファーストステップとなりますね。

さて、身体の使い方について多くの方が知りたい・学びたいと思って機能解剖学や機能運動学を学ぶのが流行っています。

それ自体は、いいことですね。

わからなかったことがわかる!という喜びは、大きなモチベーションとなります。

できればそこから、頭で理解したことを今度は身体で体現できるようになると、ほんとうに使える知識となりますね。

いや知識というより知恵、身体の知恵といったほうが良いかもしれません。

その身体の知恵はもともと僕らに備わったものですから、新に学ぶというよりは元からあったものに気づくということなのかもしれませんね。

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ごめんあそばせ
わたくし豹おんなですのよ

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