がんばることは、あなたにとって生きる術だったのかもしれません。
ちゃんとしていたかった。
弱さを見せたくなかった。
人に迷惑をかけたくなかった。
どこかで、そう思ってきたんじゃないでしょうか。
40代になったいま、ふと気づくと、
“何でも自分でできる自分”にはなれているのに、
なぜか深いところで、いつもひとりぼっちな気がしてしまう。
その寂しさを、誰かに説明できないまま、
また今日もがんばって、笑って、平気なふりをする。
だけど──
そのがんばりが、からだに「こわばり」となって表れていること、気づいていますか?
体は、感じなかったことを覚えている
たとえば、肩や背中がいつも張っていたり、
呼吸が浅くなっていたり、
マッサージを受けてもすぐにまた硬くなってしまったり。
それは単に「姿勢が悪い」せいではないかもしれません。
ほんとうは──
あなたが、感じないようにしてきた感情が、
そのままからだに残っているのかもしれないのです。
悔しさ、さみしさ、心細さ。
誰にも見せたくなかった涙。
それを感じたら崩れてしまいそうで、
「そんなこと思っちゃいけない」と、心の奥にしまい込んだ気持ち。
感じないふりをすることで、あなたはあなたを守ってきた。
でも、からだは正直です。
感じなかったものほど、
皮膚の奥や筋肉や神経に、まるで隠れるように刻まれていきます。
感情を閉じることは、防衛であり、知恵でもあった
誤解しないでくださいね。
感じないようにしてきたあなたは、間違ってなんかいない。
それは、生きるために必要だったから。
そうやって、精一杯がんばってきたからこそ、今のあなたがいる。
だけど。
もし、もう十分にがんばってきたと感じているのなら──
そろそろ、感じないふりを、終わりにしてもいいのかもしれません。
感じなかった感情に触れるのは、こわいことです。
でも、それが流れ出せば、からだも呼吸もしなやかさを取り戻していく。
「感じること」は、痛みではなく、
いのちが“通い直す”ということだから。
やさしく触れられると、からだが思い出す
セラピーセッションの中では、イーマ・サウンドの波動に加え、
こころ解放セラピーでおこなう特殊なエネルギーワークが、あなたの深い感情にそっと手を差し伸べます。
何も話していないのに、静かに涙がこぼれる方がいます。
それは、からだが安心した証です。
「もう、がんばらなくていいんだよ」
「ここでは、感じても大丈夫なんだよ」
そうやって、からだが安全を取り戻したとき、
閉じていた感覚がほんの少しずつ、戻ってきます。
それは、強引に“開く”のではなく、
自然に“戻る”というプロセス。
あなたが閉じた感情は、
いま、解きほぐされるのを待っているだけです。
感じることは、生き直すこと
からだがゆるんで、呼吸が深くなって、
思いがけないほど軽くなる瞬間があります。
それは何かを“治した”というよりも、
本来の自分に“つながりなおした”感覚。
わたしはそういう場面に、何度も立ち会ってきました。
それは毎回、小さくて静かだけれど、たしかな奇跡です。
感じなかったことには、ちゃんと理由があった。
でも、もうその時期は終わったのかもしれません。
今のあなたなら──
少しずつ、少しずつ、自分のからだと気持ちを取り戻していける。
そんなふうに思えたときが、きっと始まり。
その歩みに、わたしがそっと寄り添えたら。
それは、セラピストとしてのいちばんの喜びです。
「感じないようにしてきた感情」を、静かに解きほぐしてみませんか?