
コラムColumn
- 「本当はどうしたい?」が分からなくなる理由 ― 自分らしさは、なくなったのではありません。
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- 2026/07/13
- 自分らしい人生
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「本当はどうしたい?」
そう聞かれても、すぐに答えられないことはありませんか。
どちらでもいい。
相手に合わせた方が楽。
自分が我慢すれば済むことだから。
そんなふうに過ごしているうちに、気づけば「自分がどうしたいのか」が分からなくなってしまう。
これは、意志が弱いからでも、優柔不断だからでもありません。
もしかすると、これまでの人生で身につけてきた「生きるための反応」なのかもしれないのです。

「こうあるべき」が、自分の気持ちより先になる
前回のコラムでは、身体が守っているのは「感じきれなかった体験」なのかもしれない、というお話をしました。
その体験を繰り返す中で、私たちは少しずつ、自分の感情よりも周りを優先することを覚えていきます。
疲れているのに、
「まだ大丈夫。」
本当は断りたいのに、
「いいですよ。」
傷ついているのに、
「気にしていません。」
そんな言葉が、少しずつ当たり前になっていきます。
すると、
「私はどう感じているのだろう。」
という感覚よりも、
「こうしなければならない。」
という声の方が大きくなっていくのです。
「ちゃんとしなきゃ」が苦しさをつくっていた
ある女性が、こんなお話をしてくださいました。
「お正月やお盆になると、親戚の集まりが近づくだけで憂うつになるんです。」
親戚と仲が悪いわけではありません。
それでも、
「ちゃんと話さなきゃ。」
「気を遣わせないようにしなきゃ。」
「今年も来てくれたね、と安心してもらえる私でいなきゃ。」
そんな思いが次々と浮かび、集まりが終わる頃には、ぐったり疲れてしまうそうです。
セッションの中で、その「ちゃんとしなきゃ」をたどっていくと、ある思いが見えてきました。
「両親に心配をかけたくない。」
ちゃんと社会の中で生きている。
人とも普通につながれている。
私は大丈夫。
そんな姿を見せることで、ご両親を安心させたいという願いがあったのです。
でも、ここで一緒に考えてみました。
一年に一・二度しか会わない親戚の集まりで、
誰とでも自然に話し、誰にも気を遣わせず、みんなに必要とされる。
そんなこと、本当にできるでしょうか。
考えてみれば、とても高いハードルです。
それを当たり前だと思っていたからこそ、身体は集まりの前から緊張し、「行きたくない。」という反応を出していたことに気づかれたのです。

性格ではなく、生きるために身につけた反応
その方は、
「私は、誰とでもうまくコミュニケーションが取れないといけない。」
という思い込みを、長い間抱えて生きてこられました。
だから、
「本当は行きたくない。」
よりも、
「ちゃんとしなきゃ。」
が先に出てきます。
自分の気持ちよりも、
「こうあるべき。」
を優先する。
これもまた、自分を守るために身につけた反応だったのです。
だから、自分らしさを失ったのではありません。
「こうしなければならない。」
という声が大きくなり、
「私はどうしたい?」
という感覚が聞こえにくくなっていただけなのかもしれません。
自分らしさは、感覚の中にある
身体の緊張がゆるんでくると、忘れていた感情も動き始めます。
そして、自分の気持ちにも気づけるようになっていきます。
「今日は休みたい。」
「これは好きかもしれない。」
「本当は嫌だった。」
そんな感覚がまた戻ってくるのです。

私は、自分らしさとは、自分の感覚を信じ、自分で選べるようになることなのだと思っています。
その小さな積み重ねが、自分らしい人生へとつながっていきます。
人生の再起動とは、人生をやり直すことではありません。
忘れていた自分の感覚を取り戻し、そこから新しい一歩を踏み出していくことです。
次回は、この感覚を日々の暮らしの中で少しずつ育てていくための、セルフケアについてお話ししたいと思います。
編集者プロフィール

からだ道場【猫の穴】代表の
稲田 やすひろ です。
東洋医学や心理学、
身体療法やエネルギーワークを探究しながら、
30年以上にわたり多くの方の心と体に向き合ってきました。
私が大切にしているのは、
「不調をなくすこと」だけではなく、
その人らしい健康と暮らしを育て、
本来の生命力が発揮されることです。
このコラムでは、
そんな視点から日々感じていることや、
健康・暮らし・生き方のヒントを綴っています。
どんな状態にも理由があります。
その声を軽く扱わず、丁寧に向き合うことを大切にしています。




