Column

自分が思っている自分と、人が見ている自分
  • 2026/01/05
  • 生き方とからだのつながり
人と関わる中で、
なんだかうまくいかない感じが続くときがあります。

相手に腹が立ったり、距離を感じたり。
それと同時に、
「私の言い方が悪かったのかな」
「もっとちゃんとしていれば違ったのかな」
そんなふうに、自分を責めてしまうこともあったりします。

人との関係に起きた出来事を、
いつの間にか
自分の罪悪感や不足感として引き受けてしまう。
それは、とても多くの人が無意識にやっていることです。

でも、ここで
立ち止まって考えてみてほしいことがあります。

それは、
「自分が思っている自分」と「人が見ている自分」は、必ずしも同じではないということ。

私たちは、自分の内側から見た世界を
「これが私」と思って生きています。

けれど同時に、
他者という視点を通して、
まったく違う姿の自分もこの世界に存在しています。

このズレは、
人が人として生きている以上、とても自然なことです。


見えていない自分と、他者の視点


心理学では、
人には必ず「スコトーマ(心理的盲点)」があるといわれます。

自分では当たり前すぎて見えない部分。
あるいは、見たくなくて無意識に外している部分。
それが、他者の目には
案外はっきり見えていることがあります。

だからこそ、
「自分の思う自分」と「人が感じている自分」は、ときに大きく食い違います。

そして、そのズレが
人間関係のしんどさとして表に現れることも少なくありません。


観測によって変わる世界、という視点


量子の世界では、
「観測されるまで状態は確定しない」
という考え方があります。

観測する条件や視点が変わると、
同じ対象でもまったく違う結果が現れる。

この考え方は、
私たちの人間関係にもそのまま重ねることができます。

誰の視点で見られるか。
どんな状態の自分が、その関係を観測しているか。

それによって、
同じ相手・同じ出来事でも、立ち上がってくる現実は変わっていく。

人はそれぞれ、
別の観測点から見た「あなた」という世界を生きているとも言えるのです。


自分を責める状態から、いたわる状態へ


人間関係がしんどいとき、
多くの場合、私たちは自分を責める状態に入っています。

「私が悪いんかな」
「迷惑かけてるんちゃうかな」
「もっと我慢すべきやったんかな」


自分が思っている自分と、人が見ている自分。

そのあいだで揺れながら生きている私たちは、
知らないうちにからだを緊張させながら、
関係性をやり過ごしていることがあります。

だからまずは、
相手を変えようとする前に、

「いま、私、ちょっと緊張してるな」

と気づいてあげることです。

それだけで、
からだは安全を感じシフトし始めます。

生き方が変わるときっていうのは、
大きな決断からだけではなく、
こうした小さなゆるみから始まることもあるものです。

編集者プロフィール
からだ道場【猫の穴】代表の
稲田 泰弘(いなだ やすひろ)です。

病院では「異常なし」と言われたけれど、
体や心のつらさが続いている。
その状態を、私は軽く扱いません。

からだ道場猫の穴では、
あなたの感覚を尊重します。
その上で、体と心の反応を一緒に確かめていきます。

このコラムは、
日々の現場や対話の中で感じてきたことを
ひとつの視点として綴っています。

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