
コラムColumn
- 守り方から開花へーいのちの途中を生きる
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- 2026/01/15
- 猫の穴的いのちの話
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“守り方”から“開花”へ。これはセラピーの話ではなく、生き方の話です。
人には、それぞれの守り方がある。
強く出ることで守る人もいれば、静かに引くことで守る人もいる。
笑って守る人もいれば、黙って守る人もいる。
幼い頃に覚えた守り方は、たいてい家族の中で身につく。
家族は、最初の世界だ。まだ言葉よりも早く、空気で伝わる場所。
恥をかかせないように。ちゃんとできるように。嫌われないように。外で困らないように。
そんな願いの奥には、いつだって愛があった。
子どもはその空気の中で、自分なりの守り方を選ぶ。
「頑張る」という守り方。「応える」という守り方。「消える」という守り方。「耐える」という守り方。「避ける」という守り方。
守り方は、子どもにとっては生きる方法そのものだ。役に立ったからこそ身についたし、愛されるためでもあった。
それがなければ、あの世界を通り抜けられなかった。
ただ、大人になると、その守り方は少し窮屈になる。
意見を言おうとすると喉が固まり、頼ろうとすると呼吸が止まり、挑戦しようとすると脚がすくむ。
心は前に進みたいのに、身体は昔の守り方を続けてしまう。
昔の守り方が裏で働いてしまうから。
だから守り方は、弱さではない。ただの身体の記憶なんだ。
守り方の役目が終わると、開花が始まる。
開花とは、持って生まれた個性が顔を出すこと。眠っていた才能が芽吹くこと。誰に習わずともできてしまうことが、そっと目を覚ますこと。
努力ではなく、覚悟でもなく、追い込みでもない。
開花は、遊びに近い。
子どもが夢中で遊ぶとき、時間が消えてしまう。
その時、自分が何者でどこから来てどこへ行くのかなんてどうでもよくなる。
ただ歓びだけが先に立つ。
開花とは本来、そんなものだ。
開花が進むと、生き方が立ち上がる。
生き方とは、社会的な役割だけではなく、自由のあり方でもあり、心の姿勢でもあり、他者との関係でもあり、存在のモードでもある。
いのちそのものは、閉じるためにあるのではなく、ひらくためにある。
守り方は閉じる技術で、開花はひらく技術だ。
どちらも必要だった。
閉じることで生き延び、ひらくことで生きはじめる。
そして、生き方の奥には もう一段階ある。
いのちとは本来、輝くためにある。
輝きとは、力づくのポジティブでもなく、使命感でもなく、自己実現でもない。
もっと自然で、もっと静かで、もっと無邪気なものだ。
子どもが夢中になって遊んでいる時、世界はただただ面白くて、それが結果として人の役に立ってしまうこともある。
開花した個性と才能で遊ぶことが、世界の役に立ってしまう。
いのちが輝くとは、 そういう状態だ。
僕はいま、 まだその途中にいる。
途中で止まっているのではなく、途中でひらき続けている。
途中で迷っているのではなく、途中で遊び方を学んでいる。
途中で終わっているのではなく、途中で溢れ出している。
途中は、案外いい場所だ。

編集者プロフィール

からだ道場【猫の穴】代表の
稲田 泰弘(いなだ やすひろ)です。
病院では「異常なし」と言われたけれど、
体や心のつらさが続いている。
そんな方と、これまで多く向き合ってきました。
からだ道場猫の穴では、
言葉にしづらい不調や違和感に対して、
決めつけず、その人の感覚を大切にする
「調律」という考え方を軸にセラピーを行っています。
このコラムは、
日々の現場や対話の中で感じてきたことを
ひとつの視点として綴っています。
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